暮らしから学ぶ~村ツーリズム体験談
どうもBIKIです。
先日、ゆいツール開発ラボさんのツアーに参加してきました。
そこで僕は、「村ツーリズム」なるものを体験させていただきました。
内容は、村で行うエコツーリズムです。
エコツーリズム(英: Ecotourism)とは、自然環境の他、文化・歴史等を観光の対象としながら、環境の保全性と持続可能性を考慮するツーリズム(旅行、リクリエーションのあり方)のことである。 (Wikipediaより)
僕は正直、ザ・観光にあんまり興味がありません。
有名できれいな場所を見て、たくさん写真を撮って、夜は優雅にホテルに泊まる…といった観光をしても、あまり楽しいと思えないんです。。
それよりも、もっとローカルな人たちの生活を体験したい。
もっと、現地の人々と交流したい。
村ツーリズム(エコツーリズム)は、そんな人におすすめかもしれません。
どんな経験だったか、レポートしていきますね!
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今回、僕が滞在したのは「ブウン・スジャティ村」。
ロンボク島の中心市街地から車で30分ほど走った場所にあります。
村につくと、若者3人が出迎えてくれました。
そのうちの1人がマデくん。この村でエコツアーを進めるのを取り仕切っている人物です。
写真中央がマデくん。
彼が中心になって、村をガイドしてくれました。
一緒に庭の果物を取ってその場で食べたり、近くにある滝に案内してくれてちょっと水浴びをしたり、料理の作り方を教わったり。。
村に滞在し、そこにある暮らしを体験する。
純粋に、そこにいる人との交流を楽しむ。
この村の人たちにとってはただの日常ですが、僕にとっては非日常の連続。
とても刺激的でした。
そして、あることを強く感じました。
それは、日本においては忘れていた「自分は生きているんじゃなく、生かされてる」という感覚。
2つ大きな出来事がありました。
1つ目は、自分でアヒルを絞めて食べたことです。
1日目の晩御飯、食卓にはアヒルのスープが出てきました。
このおうちはアヒルを飼っていて、ガアガア鳴いているのを見てました。
「あそこのアヒルがこれ?」と聞くと、「そうだよ」とのこと。
「もし機会があれば、ぜひそれを体験したい」と伝えました。
すると、2日目に実現。
最初は見てるだけのつもりだったのですが、「ほら、持って持って!」と言われ、アヒルを掴むことに。
ぎゅっと足を持つと、ちゃんと温かい。
「ああ、こいつも生きてるんだ」と。
そう思っていると、お父さんがアヒルの首根っこをナイフで引きちぎりました。
飛び散る鮮血。
もうほんとに、真っ赤な血でした。
「もう手を放していいよ」と言われ、手を離すと、のたうち回るアヒル。
少したってアヒルが息絶えると、中学生くらいの子どもたちがすぐさま羽根をむしり取り始めました。
とりあえず僕も一緒にむしり取る。
むしり終わると、見たことある肉の形になってました。
そしてその日の晩御飯で、スープになって出てきたアヒルを食べました。
それを食べると、なんか何とも言えない気持ちになりました。
さっきまで生きていたアヒルを、今こうしていただいている。
心から、感謝の念がわいてきたのです。
もう一つの出来事は、村のおじさんに森を案内してもらったときのこと。
森を歩く道のりの中で、おじさんはいろんな果物や山菜をぱっと見つけてもぎ取り、僕に手渡してくれます。
そのしぐさが、もはや庭に植えてある野菜を取って「これ食えるよ~」って言ってるみたいなナチュラルさなのです。
森全体が自分の庭、みたいな。
でも僕が見ても、全く見分けがつかない。「この葉っぱとあの葉っぱ、どっちが食べられるやつだっけ?」となってしまう。
きっとおじさん、ずっと森とともに生きてきたんだな。
そして、その恵みを享受して生きてきたんだ。
そう感じました。
僕のような普通の人間が普通に暮らしていると、鳥を自分で殺めなくても、森で果物を探さなくても、スーパーで買えます。
でもそれだけでは、「命をいただく」ということがどういうことなのか、本当にはわかっていませんでした。
動物にしろ植物にしろ、生きている命を犠牲にしていただいているんだ。
だいぶ遅いですが、ようやくそのことを心から理解できた気がします。
人は生きているんじゃなく、生かされてる。
このように、自分が慣れ親しんだ環境とは異なる環境に飛び込むことで、多くの気づきや学びを得ることができます。
リアルな生活の中に入り込める「村ツーリズム」、おすすめです。
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なんだこの島!めっちゃ面白いやん!(ロンボク島の歴史)
語学の授業にて、「インドネシアの歴史」とか「ムスリムは他の宗教のことをどう思ってるか」といった話をよくしていた先生と僕。
そういう話が本当に面白く、いつも目を輝かせていた僕に、先生が
「そういうの好きなら、今度ロンボクの歴史についてまとめてくるよ!」
と言ってくれました。神かよ!
ということで、今日は「ロンボクの歴史」(オランダ占領前)を授業で学んだのですが
それがめっちゃくちゃ面白い!
何が面白いかというと、
「他の場所から運ばれてきた多様な文化が、ごちゃまぜになった状態で残ってる」ってことです。
ロンボク島の歴史(オランダに占領される前)をわかりやすく言うと、3つのフェーズに分かれます!
①仏教がやってきた!
②バリに占領される!
順を追って説明していきますね。
①仏教がやってきた!
インドネシアは、その昔仏教が隆盛でした。
ボロブドゥール遺跡ってありますよね。あれ実は、仏教の寺院です。
ロンボクにおいても、最初に入ってきた宗教は仏教でした。
これはシュリーヴィジャヤ王国がやってきて支配したかららしいです。
シュリーヴィジャヤ王国は仏教の国でした。
ロンボクはそれまで無宗教(アニミズム)だったところに、仏教が入ってきて、普及しました。
でも、全てが仏教化したわけではありません。
驚くべきことに、ロンボク島という小さな島の中に、小さな王国がたくさんあったらしいのです。
シュリーヴィジャヤによって仏教化したところもあれば、そうなってないところもあります。
この「小さな王国がたくさんあった」という点が、この後につながってきます。
②バリに占領される!
ロンボク島の横にあるのがバリ島。
今では観光地として有名ですが、時代をさかのぼれば巨大な王国でした。
バリの王国としては、当然領地を広げたい。
隣のロンボク島は恰好の標的です。
それで、バリの王国がやってきて、ロンボクを占領します。
でも「ロンボクにもたくさんの王国がある」と先ほど言いましたね。
バリの占領した範囲は広かったですが、それでもロンボク全土を占領できたわけではないのです。
拠点は、バリから近いロンボクの西側のエリアでした。
そのエリアは、Cakranegaraといいます。
実は僕が住んでいるのはここです。
住み始めたときから、「ああ、あそこはバリ人が多いでしょう」とよく言われ、実際バリ人が多く、ヒンドゥーの寺院などもよく目にしていました。
歴史とつながっていたんですね。
Taman Narmada という場所は、昔はバリの王国の拠点の一つだったそうです。
ほんとに大きい。その当時のバリの強さを思い知ることができます。
③イスラムの王国爆誕!
バリの王国の支配は、それまでの歴史の中で一番長く続きました。
しかし、ジャワからイスラム教の王国がやってきて、ロンボクをめぐって戦います。
その結果、バリは敗北し、自分たちの島へ帰っていきます。
そこから、ロンボクはイスラーム化していきます。
今では、ロンボクにいる人の7割程度はムスリムです。
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以上が3つのフェーズです。
でも面白いのは、この3つ、どれもロンボク全土に影響が及んでいるわけではない、ということ。
「フェーズ①は経験したけど、フェーズ②以降は知らんのんすわ」みたいな村が存在するんですよ!
これはフェーズ①で止まったパターンですね。
これはフェーズ③も経験しているけど、フェーズ②の影響が強すぎて、完全にイスラーム化しなかったパターンです。
驚くべきことに、バリヒンドゥーの正装を着ながら、イスラームのお祈り「ソラット」をしています。
なんて多様なんだ。。
「ロンボクって、バリとだいたい同じでしょ?」と思っていたあなた、全然そんなことないですよ!
もちろんバリの影響も受けつつ、でもそれだけでない多様なカルチャーが混ざり合っている非常に面白い島なのです!
ぜひ、ロンボクを訪れてみては?
BIKI
ロンボクのごみ銀行を見に行った!
ごみ銀行って知ってますか?
「ごみ銀行」は、「銀行」という名前がついていますが、預けるのはお金ではなくごみです。
ごみ銀行のコンセプトは「リサイクル」。
収集されたごみは業者に売却され、そこで販売された金額がごみを持ち込んだ人の通帳に分配されるという仕組みです。
引用元:
【コラム】インドネシアで注目されている「ごみ銀行」と環境意識の高まり | インドネシア総合研究所
いやあ、インドネシアの道ってほんとにごみがよく落ちているんですよ。
日本では、道端にゴミをホイホイ捨てる人はそんなにいません。そんな友達いたら「いや、ゴミはゴミ箱に捨てろや」って言っちゃいますよね?
これはきっと、「道にごみをポイ捨てするのは悪である」というのがみんなの共通認識になっているからだと思います。
そういう環境で育ってきた日本人にとっては、インドネシアの道に対して「ええ、ごみありすぎちゃう!?」って一度は思うと思います。
でも、インドネシアの人たちは、「汚いな」と思いつつも、大して問題にしないことが多いですね。
「道にごみをポイ捨てするのは悪である」というのが、そこまで強く存在しない。
なんなら子供のときに、親がその辺にごみを捨てるのを見て育ってきた。
もし僕がインドネシアで育って、周囲にそういう人たちが多かったら、僕もその辺にホイホイ捨てていたかもしれません。
しかし、ごみが至る所に落ちているのは色んな意味で良くない。
景観悪いし、何より環境に良くない。
そこで生まれたのがごみ銀行でした。
「ごみを持っていけばお金になる!」
それまで何の価値もなくホイホイ捨てていたごみに付加価値をつけて、みんなに持ってきてもらうようにしたら、めっちゃ流行ったんですね。
頭いいっすね。
僕が住んでいるロンボク島にもありました。
今日、見学に行ってきたので、レポートをしたいと思います。
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島の中心市街地の外れにあるごみ銀行が、今回の訪問先。
なかに入ると、たくさんのペットボトルが再利用されてました。
ペットボトルで作った椅子もありました。(写真撮り忘れた。。。)
ごみを収集している場所を見せてもらう。
ここでは、コンポスト(生ごみなどから作った肥料)も作っているそう。
鳥の骨とかも入ってました。
そういえば、銀行の通帳ってあるの?
再利用の現場をみせてもらうことに。
これを地道に続けて、グッズを完成させていました。
この作業、楽そうに見えてめちゃくちゃ時間かかるんですよ。
財布とかでも1日くらいはかかるとおっしゃっていました。
バッグなんてもっと時間かかりますね。
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その後、職員の方にお話を伺いました。
「ここは始めてから、もう4年になるんだよ。
活動としては、ごみ銀行としてごみを回収してお金に換えてるのと、近くの村に行ってこうした再利用のやり方の説明をしているよ。」
夫婦で経営されているのですが、村で教えるときには
夫の方が「オーガニック担当」(コンポストなど、自然由来のごみを再利用する方法)
嫁さんが「ノンオーガニック担当」(プラスチックなどの再利用方法)
という感じで役割分担してるそう。
夫は大学でごみについて講義してるそうです。すげえ。
「で、村の大人たちに説明するんだけど、なかなか彼らを説得するのは難しくて。
考えが固まってしまっているからね。
だから、子どもたちに教えるのが大切なんだ」
なるほど~。
運よくこの日は、小学生たちが来て、ごみについて勉強していく日でした。
ごみ問題についての説明を聞いて、実際の現場を見て回る子どもたち。
「世の中にはこんな活動があるんだ」と記憶の片隅に残っているだけでも、将来に生きてくると思います。
彼らが未来の「当たり前」を作っていきます。
僕が終始驚いていたのは、「こんなに環境に対して意識が高い人もおるんや」ということ。
まだ全体の中では少数派であるとは思いますが、既に芽は出ています。
この人たちが、次のムーブメントを作っていく。
奥さんがおっしゃっていました。
「こうやって色んな人が見に来てくれることが励みになる。今日は日本からのお客さんも来たし!(笑)」
何か活動をしている人にとって、
「誰かが自分たちに興味を持って、見に来てくれる」
だけでも嬉しいことなんですね。
いきなり行動は難しくても、まずは興味を持つことから。
僕も頑張ります。
BIKI
スケジュールを埋めちゃう癖
僕は最近、スマホのカレンダーアプリを使ってスケジュールを管理しています。
日本にいるときは紙の手帳が好きで、毎年新しいものを買うのを楽しみにするほど。
でも、インドネシアに来ると、予定が入ったり消えたりがとてもたくさんあるので、紙に書くよりもスマホで管理した方が都合がいい。
スマホのアプリには、毎週同じ時間に同じ予定を入れ続けることができます。月曜日の授業は何時から何時まで!っていうのを、エンドレスにカレンダーにぶちこむことができます。便利ですね。
それで授業の予定をすべて入れていたのですが、今週の月曜日から試験が始まり、授業がありません。
そこでテストが終わるまでの授業の予定を全部消していくと、スケジュールが1週間半くらい真っ白になってしまいました。
日本では経験したことの無い白さ。(洗剤みたいやね)
ゆっくりしようか、と思うのですが
そこでもう一人の僕がこう言うのです。
「このまま時間を無駄にするのはもったいない。なんか予定入れようで」と。
気が付いたら、空白のスケジュールにちょくちょく予定を入れていました。
これはなんでなんでしょうか。
自分なりに出した答えは、「休んでいても生きてる気がしないから」でした。
日本で日々忙しくしている中で、1日オアシスのような休みの日がある場合、僕は思いっきり休むことができます。休んでいて心地いい。
でも、活動がない休みがずっと続くと、「もっと活動させてくれ!」となってきます。「生きてる気がしない!!」と。
活動と言っても、「1人でただ海辺を走る」みたいな活動をしても効果は薄いのです。
自分以外の誰かと一緒に、何かやりたい。
この中には、「求められたい」「必要とされたい」という欲求が少なからずあるなあと気づきました。
空いたスケジュールに耐え切れないのは、一因は承認欲求なのかな。
アドラー心理学は、「承認欲求を捨てろ」と言います。
「承認されるかどうかは他人に掛かっている。それにすがる以上、自分の人生を歩むことができない」と。
イチローは、一番嫌いな言葉として「成功」をあげていた。
子どもの頃イチローに憧れて、いろんな本を読んでいた時にこれを知ったが、当時は意味がわからなかった。
でも、今なら何となくわかる。
「成功」は他人が決めるものだからだろう。
他人の評価とか、そういうの抜いたときに、いったい自分は何がしたいんだろう。
みたいなことをぐるぐる考えるマンになってました。
「池上彰の世界の見方 東南アジア」 を読んで面白かったこと!
今日は本のレビューをしたいと思います。
「池上彰の世界の見方 東南アジア~ASEANの国々~」です。
東南アジア全ての国々について書かれています。
全部面白かったのですが、今回はインドネシアに関わることをピックアップして、僕が面白いと感じた点を紹介していきたいと思います。
①オランダの占領は「株式会社」から始まった!
今インドネシアとなっている地域は、17世紀ごろからオランダによって300年もの間支配されていました。
最初は「オランダ東インド会社」がやってきたのです。
では、そもそもなぜオランダがやってきたのか?
それは香辛料のためです。インドネシアで良質の香辛料が取れて、それがめちゃくちゃ高い値段で売れた。香辛料ニーズが高かったのです。
でも、ヨーロッパと東南アジアって遠いですよね。当時は船しかないし。途中で沈むリスクもでかかった。
そこで考え出されたのが、オランダ東インド会社の仕組み。オランダ東インド会社は、実は株式会社の仕組みの原型だったのです。
株式会社って、お金を出してくれる資本家がいて、その人たちが株主総会とかなんやらやって社長決めますよね。で、社長は株主からのお金を背負って、従業員を雇い、経営していく。
オランダ東インド会社の場合は、お金を持ってる資本家が、「ああ~、香辛料で金儲けしてえ~!」って思ってる。でも、1人で船を買って、船長を雇って「よし、行って来い!」ってするのは、あまりにもリスクがでかすぎる。東南アジア遠すぎて、途中で船が沈んじゃうの全然あり得ますから、1人で大金つぎ込むのは大博打なわけです。
そこで、資本家同士で集まってお金を出して、船を買い、1人の船長を雇う。船長は今の社長のように、乗組員(従業員)を選んでチームを作ります。もしその船が沈んでしまっても、何人かで集まってお金を出しているので、損失は小さく抑えられる。成功して帰ってくれば、出た利益を配分してもらえる。
まさに株式会社っすね。
でも皆さんがもし農家で、自分の畑でトマト作ってたら、いきなり知らん人が集団でやってきて「そのトマトくれや。うちの村で売ったら高く売れるねん」みたいなこと言ってきたらどうします?
「いやオマエ誰やねん!!!」ってなりますよね。
インドネシア側からしてみれば、知らない外国人が自分たちの島にいきなり土足で入ってきて、「なあ、香辛料くれへん?」って言ってくる。
当然「誰やねんオマエ!うちの島から出ていけ!」みたいな反応になりますよね。
でも、船長目線で見ると、手ぶらで帰る訳にはいきませんよね。資本家たちがお金を出し合っているわけですから。「香辛料絶対取って帰らなあかん!!!」みたいな感じになってるわけです。
そこで、争いになる。オランダ東インド会社が今の株式会社と違うのは、軍事力を持っていた点です。
それでオランダが勝っていく中で、支配が始まっていった、という流れなんですね。
②スカルノ大統領って、独裁政権だったのか!
オランダ、日本、またオランダという順番で占領されてきたけど、遂に念願の独立を果たすインドネシア。
「建国の父」と呼ばれているのがスカルノ大統領です。
スカルノは、植民地支配に抗った英雄でした。
しかし、彼は途中から独裁の方向に舵を切るんですね。
もともとインドネシアができた当初は、スカルノは「国家元首」というポジション。今の日本で言うと天皇のような、対外的には代表だけれど、政治的な力はないポジションでした。
でも、インドネシア建国当初の議会は全然まとまらない。国家が分裂しちゃうんじゃないかってなってきたところで、
スカルノは「お前らじゃあかん。おれが全部やる!」みたいな感じで、議会は解散、憲法は停止、スカルノに権力一極集中!という形にしました。
独裁の始まりです。
議会も新しく作ったけど、全員スカルノが選んだ人。イエスマンしかいない。これを「指導される民主主義期」と呼ぶそうです。池上彰さんは、「いや、これ民主主義じゃなくない!?」とツッコミを入れておられました。
なんか「建国の父」、ってイメージとは結構かけ離れてますね。
そんなやり方に反発していたのが、インドネシア国軍。ばりばりの右翼ですね。スカルノは自分の支持基盤として、インドネシア共産党と仲良くなります。
国軍と共産党は仲が悪い。スカルノは、その2つを上手くまとめる役として振舞おうとするわけです。
でも、「9月30日事件」というのが起こります。
インドネシア共産党のメンバーが、国軍幹部6人を暗殺しました。国は大騒ぎに。インドネシア共産党と仲良かったスカルノは、ちょっと足元掬われたような恰好ですね。そのとき事態の鎮静化を図ったのが、後の2代目大統領のスハルトなのです。この事件以降、スカルノは失脚し、スハルトが独裁政権を受け継いでいくことになります。
9月30日事件について語りだすと止まらないので、この辺で辞めておきます。
この地域がインドネシアになってからの歴史はまだ短いですが、激動の時代だったわけです。それを勉強するのは面白い。
今回はあまり触れませんでしたが、日本との関係もそれはもう色々とありました。
それについてはまた今度書きますね。
この本面白いので、ぜひ読んでみてください。
Terima kasih.(ありがとう)
BIKI
幸せを俯瞰で見る ~インドネシアに来て、僕が変化したこと②~
インドネシアに来て、変化したこと第2弾。
一番大きな変化は前回の記事に書きました。
今回は、それ以外をいくつか書こうと思います。
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まず、こちら。
①時間にルーズになった
インドネシアには "Jam Karet" という言葉があります。
直訳すると「ゴム時間」。
ゴムのように、時間が伸びたり縮んだりする、ということです。
友達とじゃあ7時ね!と待ち合わせても、基本7時に始まることはない。
この前、学校の行事でレクリエーションに行こう!って時も、7時集合でそのまま出発するはずが8時半くらいになってた。
たぶんインドネシアにいる人は、何度か経験したことがあると思います。
最初は
「ええ、こんな待たされるの!?」
と戸惑ってました。
でも、なんかだんだんそれが心地よくなっていくんですね。こわい。
もともと日本でも細かい遅刻をよくしていた僕。
時間を守るのは得意分野ではないのです。
そんな僕とインドネシアの環境を掛け合わせると、、
= 「もっと遅刻するようになる」
でした。
逆に自分がゴム時間を利用していく。笑
少々遅れても、みんなも遅れてることが多いからいいんだもん。。
②おしゃべりが増えた
僕はもともとそんなにおしゃべりをするタイプではありません。
でもインドネシアの人って、ほんとにおしゃべりな人が多いんですね。
日本人からしたら「そんなんどうでもよくない?」みたいなこともずーーと喋ってる。
で、僕もおしゃべりせざるを得ないことが多いわけです。
カタコトだけど、頑張っておしゃべりすることが増えました。
そんな中で気づいたことは
「やっぱり、おしゃべりって関係性作りのために大切だな」
ということです。
仕事してるときも、業務連絡だけではダメなんですね。
たわいもないこと話したり、冗談を言って笑ったり。
そういうことの積み重ねが、良い関係につながり、仕事で協力するときもそれが生きてくるんですね。
おしゃべり、大切。
日本に持って帰ります。
③働くとは?幸せとは?についてよく考えた
これは東南アジアに行くとあるあるかもですが、みんなそんなに真面目に働いてないんですよね。笑
職員室に居ても、だいたい半分くらいの先生は仕事してるけど、もう半分はせずにおしゃべりしてます。
なんか日本って、「仕事を通して幸せになろう」っていう考えが結構主流じゃないですか。
就活の自己分析とかまさにそんな感じっすよね。
自分の原体験なるものをあぶりだし、それから自分は何がしたいのか?を自問自答し、それとフィットする会社を探し出し、就職をする。
自分のやりたい仕事ができていれば幸せ。そうじゃなければ幸せじゃない。
極端な言い方ですが、そんな空気感を感じるわけです。
で、みんな1日の多くの時間を仕事に費やす。寝ても覚めても仕事仕事。みたいなパターンも少なくないですね。
インドネシア人が持ってる「日本人のイメージ」も、真面目過ぎるくらい働くっていうのはよく出てきます。
そんな中、職員室で先生と、「幸せ」について話す機会が。
「日本人は仕事を通して幸せになろうとしている。だから働くんだ」みたいなことをぼくが言うと、先生はこう言いました。
「日本人って、お金はたくさんあるのに、心は貧しいのね」
「私は家族と時間を過ごすこと、旧友と再会すること、おいしい食事を食べるだけで幸せよ」
グサッッッッ!!!!!(胸に言葉が突き刺さった音)
こ、心が貧しい。。そうか。。そう写ってるか。。
この考え方の違いには、おそらく宗教も関係しているんじゃないかと思います。(それについてはまた今度書きます)
でも、こういうことを言ってもらえると、日本を俯瞰で見ることができます。
要は、いろんな幸せがあるってことですね。
どっかの記事かなんかで、「ドラクエ的人生」と「どうぶつの森的人生」の2タイプがある、と書いてありました。
ドラクエの勇者のようにがんがん新たな敵を倒して突き進んでいくことに幸福を感じるか、どうぶつの森のような人と人との関係性の中で幸せを見つけるか。
関係性が濃くあって、その中で幸せを感じる。
インドネシアのそういうところ、僕は大好きですし、リスペクトしています。
とても心地よい。
だけど、僕が3か月住んで気づいていることも同時にあって、
「どうもり人生だけでは、おれはちょっと物足りない!」
ということ。
やっぱり色々と挑戦していく方が僕は充実感を得れるんですね。そういう部分は捨てたくない。好きな仕事をしたい。
でも、関係性なしでは幸せにはなれないな、というのも、ここ最近思っていること。
上手くバランスとりながら生きていきたいな、と。
まあでも、これは僕が考えていることで、たぶん人それぞれにいろんな幸せの形があるのだと思います。
インドネシアに来て、幸せについて俯瞰で見ることができました。
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日本と異なる環境に身を置くと、やはり刺激が多く、いろんなことが変わっていきます。
考え方が凝り固まらないためにも、いろんな環境に身を置くのは大切ですね!
BIKI
余白があったから ~インドネシアに来て、僕が変化したこと①~
インドネシアに3か月住んで変わったこと
どうも。BIKIです。
インドネシアに住み始めて、3か月が経ちました。
日本とは全く異なる環境。
異文化の中に飛び込み、色んな人と出会い、色んな事を見て、色んなことを考えました。
環境が変化すると、自分自身も変化していくものです。
そこで今回は、インドネシアに来てから「ああ~、ここがおれ変わったなぁ~!」っていうところを書いてみたいと思います。
やりたいことをやることに躊躇しなくなった
一番はこれです。
インドネシアに来てから、新たに始めたことは
ブログ
ギター
この3つです。
ギターはちょっと前もやってましたが、しばらく遠ざかっていました。
でも、今はギターと恋人になれそうなくらい弾いています。
ブログ、YouTubeなど、自分を積極的に発信していくことも、今までは躊躇していましたが、始めました。
自分を発信したい!という思いはきっと胸の奥に眠っていたのですが、日本にいたときはなかなか勇気を出せず。
「ああ、これやったらどう思われるかなぁ!?」みたいなことばっかり考えていました。
要はチキンでしたね。
でも、インドネシアにきて、
たった3ヶ月で新しいことを3つも始め、「最近やりたいことしかやってない」と思っています。
僕の人生を振り返ると、こんなことは今までにありませんでした。
なぜ、やりたいことを始められたのか?
理由は2つあると思ってます。
①時間が結構ある
インドネシアの高校って朝早いけど、終わるのも早いんですね。
14時には学校終わる。
で、残業とかも誰もしない。みんなすぐに帰ります。
なので、帰った後の時間を、自分の思うように使える割合がでかいんですね。
日本にいるときは、なんだかんだやることいっぱいあって、自由に時間使いまくれることはそんなになかったです。
でも、今は時間がある。
余白があったから、それを自分の好きなように使えたんだな。
②みんな好きなことやってる
これは結構大きいです。
生徒たちと交流してると、みんなそれぞれに好きなことがハッキリあって、それを各々極めている感じがするんですね。
この子は絵が上手。この子はギターが上手。この子は喋りができる。。
などなど。
割とたくさんの生徒が何らかの特技を持っています。
で、それはなんで実現しているかっていうと、おそらく
「余白が大きいから」
だと思います。(またですね)
先ほど、時間的な余白については言いました。
制約的な余白も大きいと思います。
例えば、授業時間も授業受けずに、外で座ってギター弾いてるやつがいたりとか。笑
日本だったら怒られますよね。かなり問題児扱いされると思います。
でもここでは、そういう子は結構多いです。
で、先生もそんなに怒らない。
クラスの中に入っても、やりたい子は真剣に聞いていますが、やる気がない子は絵を描いたり、スマホ触ってたり、なんか後ろの方で色々やってます。笑
で、それに対しても、先生はそんなに怒らない。
「やりたい人はやって~!」みたいなスタンスを感じるんですね。
これはもちろん一長一短だと思います。
短で言うと、
規律を守る、人の話をちゃんと聞く、授業はちゃんと受ける、みたいな基本的なことが身につかねえっすね。
日本の教育を受けると、ここは徹底されるポイントだと思います。。それゆえ、「日本人は信頼できる」という世界の評価につながっている面があると思います。
ただ、個性を伸ばすという意味では、インドネシアは日本よりも強いんじゃないかな~と思います。
時間というキャンバスに、好きな色を塗りまくれる余白が大きい。
で、他のみんなも好きなことやってる。
みんな自由にやってる環境の中にいれば、自然と自分も自由にやり始める。
今、僕もその影響を受けたんだと思います。
そんな環境でいきいきやってる高校生がちょっぴりうらやましくもなる22歳。。
次回も、インドネシアに来てから変わったことについて書こうと思います。