「池上彰の世界の見方 東南アジア」 を読んで面白かったこと!
今日は本のレビューをしたいと思います。
「池上彰の世界の見方 東南アジア~ASEANの国々~」です。
東南アジア全ての国々について書かれています。
全部面白かったのですが、今回はインドネシアに関わることをピックアップして、僕が面白いと感じた点を紹介していきたいと思います。
①オランダの占領は「株式会社」から始まった!
今インドネシアとなっている地域は、17世紀ごろからオランダによって300年もの間支配されていました。
最初は「オランダ東インド会社」がやってきたのです。
では、そもそもなぜオランダがやってきたのか?
それは香辛料のためです。インドネシアで良質の香辛料が取れて、それがめちゃくちゃ高い値段で売れた。香辛料ニーズが高かったのです。
でも、ヨーロッパと東南アジアって遠いですよね。当時は船しかないし。途中で沈むリスクもでかかった。
そこで考え出されたのが、オランダ東インド会社の仕組み。オランダ東インド会社は、実は株式会社の仕組みの原型だったのです。
株式会社って、お金を出してくれる資本家がいて、その人たちが株主総会とかなんやらやって社長決めますよね。で、社長は株主からのお金を背負って、従業員を雇い、経営していく。
オランダ東インド会社の場合は、お金を持ってる資本家が、「ああ~、香辛料で金儲けしてえ~!」って思ってる。でも、1人で船を買って、船長を雇って「よし、行って来い!」ってするのは、あまりにもリスクがでかすぎる。東南アジア遠すぎて、途中で船が沈んじゃうの全然あり得ますから、1人で大金つぎ込むのは大博打なわけです。
そこで、資本家同士で集まってお金を出して、船を買い、1人の船長を雇う。船長は今の社長のように、乗組員(従業員)を選んでチームを作ります。もしその船が沈んでしまっても、何人かで集まってお金を出しているので、損失は小さく抑えられる。成功して帰ってくれば、出た利益を配分してもらえる。
まさに株式会社っすね。
でも皆さんがもし農家で、自分の畑でトマト作ってたら、いきなり知らん人が集団でやってきて「そのトマトくれや。うちの村で売ったら高く売れるねん」みたいなこと言ってきたらどうします?
「いやオマエ誰やねん!!!」ってなりますよね。
インドネシア側からしてみれば、知らない外国人が自分たちの島にいきなり土足で入ってきて、「なあ、香辛料くれへん?」って言ってくる。
当然「誰やねんオマエ!うちの島から出ていけ!」みたいな反応になりますよね。
でも、船長目線で見ると、手ぶらで帰る訳にはいきませんよね。資本家たちがお金を出し合っているわけですから。「香辛料絶対取って帰らなあかん!!!」みたいな感じになってるわけです。
そこで、争いになる。オランダ東インド会社が今の株式会社と違うのは、軍事力を持っていた点です。
それでオランダが勝っていく中で、支配が始まっていった、という流れなんですね。
②スカルノ大統領って、独裁政権だったのか!
オランダ、日本、またオランダという順番で占領されてきたけど、遂に念願の独立を果たすインドネシア。
「建国の父」と呼ばれているのがスカルノ大統領です。
スカルノは、植民地支配に抗った英雄でした。
しかし、彼は途中から独裁の方向に舵を切るんですね。
もともとインドネシアができた当初は、スカルノは「国家元首」というポジション。今の日本で言うと天皇のような、対外的には代表だけれど、政治的な力はないポジションでした。
でも、インドネシア建国当初の議会は全然まとまらない。国家が分裂しちゃうんじゃないかってなってきたところで、
スカルノは「お前らじゃあかん。おれが全部やる!」みたいな感じで、議会は解散、憲法は停止、スカルノに権力一極集中!という形にしました。
独裁の始まりです。
議会も新しく作ったけど、全員スカルノが選んだ人。イエスマンしかいない。これを「指導される民主主義期」と呼ぶそうです。池上彰さんは、「いや、これ民主主義じゃなくない!?」とツッコミを入れておられました。
なんか「建国の父」、ってイメージとは結構かけ離れてますね。
そんなやり方に反発していたのが、インドネシア国軍。ばりばりの右翼ですね。スカルノは自分の支持基盤として、インドネシア共産党と仲良くなります。
国軍と共産党は仲が悪い。スカルノは、その2つを上手くまとめる役として振舞おうとするわけです。
でも、「9月30日事件」というのが起こります。
インドネシア共産党のメンバーが、国軍幹部6人を暗殺しました。国は大騒ぎに。インドネシア共産党と仲良かったスカルノは、ちょっと足元掬われたような恰好ですね。そのとき事態の鎮静化を図ったのが、後の2代目大統領のスハルトなのです。この事件以降、スカルノは失脚し、スハルトが独裁政権を受け継いでいくことになります。
9月30日事件について語りだすと止まらないので、この辺で辞めておきます。
この地域がインドネシアになってからの歴史はまだ短いですが、激動の時代だったわけです。それを勉強するのは面白い。
今回はあまり触れませんでしたが、日本との関係もそれはもう色々とありました。
それについてはまた今度書きますね。
この本面白いので、ぜひ読んでみてください。
Terima kasih.(ありがとう)
BIKI