なんだこの島!めっちゃ面白いやん!(ロンボク島の歴史)

 

語学の授業にて、「インドネシアの歴史」とか「ムスリムは他の宗教のことをどう思ってるか」といった話をよくしていた先生と僕。

 

そういう話が本当に面白く、いつも目を輝かせていた僕に、先生が

「そういうの好きなら、今度ロンボクの歴史についてまとめてくるよ!」

と言ってくれました。神かよ!

 

ということで、今日は「ロンボクの歴史」(オランダ占領前)を授業で学んだのですが

それがめっちゃくちゃ面白い!

 

何が面白いかというと、

「他の場所から運ばれてきた多様な文化が、ごちゃまぜになった状態で残ってる」ってことです。

 

ロンボク島の歴史(オランダに占領される前)をわかりやすく言うと、3つのフェーズに分かれます!

 

①仏教がやってきた!

②バリに占領される!

イスラムの王国爆誕

 

順を追って説明していきますね。

 

①仏教がやってきた!

インドネシアは、その昔仏教が隆盛でした。

ボロブドゥール遺跡ってありますよね。あれ実は、仏教の寺院です。

 

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その大きさから、仏教の隆盛を感じられる

ロンボクにおいても、最初に入ってきた宗教は仏教でした。

これはシュリーヴィジャヤ王国がやってきて支配したかららしいです。

シュリーヴィジャヤ王国は仏教の国でした。

 

シュリーヴィジャヤ王国 - Wikipedia

 

ロンボクはそれまで無宗教アニミズム)だったところに、仏教が入ってきて、普及しました。

 

でも、全てが仏教化したわけではありません。

驚くべきことに、ロンボク島という小さな島の中に、小さな王国がたくさんあったらしいのです。

シュリーヴィジャヤによって仏教化したところもあれば、そうなってないところもあります。

この小さな王国がたくさんあった」という点が、この後につながってきます。

 

②バリに占領される!

ロンボク島の横にあるのがバリ島。

今では観光地として有名ですが、時代をさかのぼれば巨大な王国でした。

バリの王国としては、当然領地を広げたい。

隣のロンボク島は恰好の標的です。

それで、バリの王国がやってきて、ロンボクを占領します。

 

でも「ロンボクにもたくさんの王国がある」と先ほど言いましたね。

バリの占領した範囲は広かったですが、それでもロンボク全土を占領できたわけではないのです。

 

拠点は、バリから近いロンボクの西側のエリアでした。

そのエリアは、Cakranegaraといいます。

実は僕が住んでいるのはここです。

住み始めたときから、「ああ、あそこはバリ人が多いでしょう」とよく言われ、実際バリ人が多く、ヒンドゥーの寺院などもよく目にしていました

歴史とつながっていたんですね。

 

Taman Narmada という場所は、昔はバリの王国の拠点の一つだったそうです。

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ほんとに大きい。その当時のバリの強さを思い知ることができます。

 

イスラムの王国爆誕

バリの王国の支配は、それまでの歴史の中で一番長く続きました。

しかし、ジャワからイスラム教の王国がやってきて、ロンボクをめぐって戦います。

その結果、バリは敗北し、自分たちの島へ帰っていきます。

そこから、ロンボクはイスラーム化していきます。

今では、ロンボクにいる人の7割程度はムスリムです。

 

 

以上が3つのフェーズです。

でも面白いのは、この3つ、どれもロンボク全土に影響が及んでいるわけではない、ということ。

 

「フェーズ①は経験したけど、フェーズ②以降は知らんのんすわ」みたいな村が存在するんですよ!

 

これはフェーズ①で止まったパターンですね。 

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仏教徒しかいない村

 

これはフェーズ③も経験しているけど、フェーズ②の影響が強すぎて、完全にイスラーム化しなかったパターンです。

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見た目はバリ人そのもの

 

驚くべきことに、バリヒンドゥーの正装を着ながら、イスラームのお祈り「ソラット」をしています。

 

なんて多様なんだ。。

 

「ロンボクって、バリとだいたい同じでしょ?」と思っていたあなた、全然そんなことないですよ!

もちろんバリの影響も受けつつ、でもそれだけでない多様なカルチャーが混ざり合っている非常に面白い島なのです!

 

ぜひ、ロンボクを訪れてみては?

BIKI