ヒロシマについて

あーーー。なるほどね…。

 

ずっと感じていた違和感が今日解けた。

インドネシア人の「ヒロシマ」に対する捉え方である。

 

僕は広島に生まれた。

1945年8月6日8時15分、広島の地に原子爆弾が落とされ、数えきれないほど多くの人が残酷な死を遂げ、生き延びた人も放射能による後遺症に苦しんだ。

僕の祖父も原子爆弾投下の数日後に、親戚を探すために爆弾が落とされた市内中心部を訪れている。そこで被ばくしている可能性もなくはない。(今でも存命なので大丈夫かと思うが)

 

広島は平和教育が盛んで、小学校の頃から僕はずっと原爆で皮膚が焼け落ちた人々や、無惨な姿になった広島を毎年8月になると見せられ、学校で被ばく者の話を聞いた。

 

8月6日に漂う広島の異様な空気感は、今でも肌に残っている。

 

そしてインドネシアに来た。

いろんな人に「出身はどこ?」とよく聞かれる。

「広島」と答えると、こんな反応が返ってくることが多い。

 

「ああ~、ボム(原子爆弾)が落ちたところね。ボムっ!!ハハハ」

 

え、なんで笑ってんの?

最初それが理解できず、悔しい気持ちになった。なんやねんそれ。めちゃくちゃ多くの人が死んでるんやぞ。。

 

最近はもう聞き流すようにしていたが、今日、かつて日本に留学していたことのあるインドネシア人の方とお話をする機会があった。

 

そこで話をしているときに、広島に関する話に。

 

彼はこう尋ねた。

「出身地が広島って言ったとき、生徒はどんな反応をしてる?」

 

「なんか、みんな原爆のところとして知っているけど、そこで本当にどんなことが起こったのかは知らないっぽい。」

 

「ああ、そうだよね。インドネシア人は、広島に原爆が落とされたおかげで独立できた側面があるから。独立のためには良かったと思っている人も多いし、実際自分もそうだった。」

 

僕は衝撃を受けた。でも、考えてみればそうやわ…。

もともと日本が勝手にやってきて、占領し始めて、でも負けそうになってきて帰っていった、というのがインドネシアの共通認識だからだ。

 

「でも、」と彼は続ける。

 

「実際に留学している時に、ヒロシマについてゼミで学んだり、資料館を訪れたりして、今までの意識は間違っていたなと思った。そこで何が起こっているのかを考えずに、自分たちのことだけを考えるのは違うなと。」

 

それはまさに僕にも当てはまることだった。「ヒロシマ」について、僕は「被害者である」という意識しか持ち合わせていなかった。

でもそれは、世界の中ではただの1視点であり(しかもマイノリティよりかも)、利害関係の中ではプラスに働いた側面があるのだと、今更ながら気が付いた。

 

なるほど。そうなってくると、ヒロシマをどのように伝えていこうか。