積極的異文化理解の精神

どうも。BIKIです。

 

この前、インドネシア人で、ジャカルタの日本の機関で働いている方とお話をする機会がありました。

 

僕が参加しているプログラムの研修を担当されていて、以前から交流があった方です。

これまでも色々な話をしてくれて、その度に新たな気づきを得ています。

僕が尊敬する人の一人です。

 

今回も新たな気づきがありました。

 

僕は日本人で、今は1人でインドネシアの高校に入って活動をしています。

一方で彼は、インドネシアでたくさんの日本人と一緒に働いている。

立場は違えど、状況は似ているのです。

 

彼は言います。

 

「いやー、普段の職場でも異文化理解が必要な場面はたくさんあるんですよ。

例えば、日本人だったら普通はこれくらいできるっていうラインがあるでしょう。

でもなかなかそこに達することができなかったりする。

こっちはインドネシア人。

インドネシア人的には、すごく頑張っている方なんですけど、日本人からすると全然認められないときとかもある

そういうときは、こっちも頑張ってるんだよ~!ってなっちゃうね。」

 

僕はそれを聞いてハッとしました。

 

インドネシアの職場にいると、日本の職場だったらあり得ないような事態が多々あります。

日本の教育だったら、何か意思決定するとき、先生の都合よりも第1に生徒のことを優先して判断します(基本的には)。

でも、先生の都合で色々変わっちゃったり。授業なくなっちゃったり。

日本人的には「んっ!?」となかなか飲み込めない部分もあるわけです。

 

でも彼と同様に、僕を受け入れてくれている先生方も、実は普段よりはきっちりやろうとしてくれているのかもしれない。

でも、自分が気づいていないだけかもしれない。

そういう想像力が足りてなかったな、と思いました。

 

彼は続けます。

「でも、だからこそ、お互いの行動の理由をしっかりと説明することが大切なんだよね。

さっきも、プレゼンのタイムキーパーを任されていて、最初のグループの時間が過ぎてしまったけど、なかなか声をかけれず時間が過ぎてしまった。

でもそれは、トップバッターで緊張している先生に対する配慮だったりする。

ということを説明しないと伝わらないよね」

 

これは僕に欠けていた姿勢でした。

「んっ!?」と思うことがあっても、相手にその理由をきちんと確認せず、自分の持っている知識だけでなんとなく理解しようとしていたからです。

 

違いはあって当たり前。だから、とりあえず受け入れて過ごそう。

 

今までのこの姿勢だと、相手が本当に考えていることを理解できないな、と思いました。消極的な姿勢だと思います。

 

でも、もっと積極的にコミュニケーションを取って、相手が考えていることを理解できたなら。相手がそうする理由をちゃんと知れたら、もっと深い次元での理解ができる。

 理由がわかれば、受け入れることにストレスを感じることも少なくなると思います。

 

これは別に異文化うんぬん関係ない。

 

コミュニケーションとは本来こういうものだと思います。

 

これからの3ヶ月で、そういうコミュニケーションを目指していきたいなと思いました。

 

まずは自分が、「こう思ったから、こういう行動を取りました」という説明をきちんとしていかなきゃな。

 

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ヒロシマについて

あーーー。なるほどね…。

 

ずっと感じていた違和感が今日解けた。

インドネシア人の「ヒロシマ」に対する捉え方である。

 

僕は広島に生まれた。

1945年8月6日8時15分、広島の地に原子爆弾が落とされ、数えきれないほど多くの人が残酷な死を遂げ、生き延びた人も放射能による後遺症に苦しんだ。

僕の祖父も原子爆弾投下の数日後に、親戚を探すために爆弾が落とされた市内中心部を訪れている。そこで被ばくしている可能性もなくはない。(今でも存命なので大丈夫かと思うが)

 

広島は平和教育が盛んで、小学校の頃から僕はずっと原爆で皮膚が焼け落ちた人々や、無惨な姿になった広島を毎年8月になると見せられ、学校で被ばく者の話を聞いた。

 

8月6日に漂う広島の異様な空気感は、今でも肌に残っている。

 

そしてインドネシアに来た。

いろんな人に「出身はどこ?」とよく聞かれる。

「広島」と答えると、こんな反応が返ってくることが多い。

 

「ああ~、ボム(原子爆弾)が落ちたところね。ボムっ!!ハハハ」

 

え、なんで笑ってんの?

最初それが理解できず、悔しい気持ちになった。なんやねんそれ。めちゃくちゃ多くの人が死んでるんやぞ。。

 

最近はもう聞き流すようにしていたが、今日、かつて日本に留学していたことのあるインドネシア人の方とお話をする機会があった。

 

そこで話をしているときに、広島に関する話に。

 

彼はこう尋ねた。

「出身地が広島って言ったとき、生徒はどんな反応をしてる?」

 

「なんか、みんな原爆のところとして知っているけど、そこで本当にどんなことが起こったのかは知らないっぽい。」

 

「ああ、そうだよね。インドネシア人は、広島に原爆が落とされたおかげで独立できた側面があるから。独立のためには良かったと思っている人も多いし、実際自分もそうだった。」

 

僕は衝撃を受けた。でも、考えてみればそうやわ…。

もともと日本が勝手にやってきて、占領し始めて、でも負けそうになってきて帰っていった、というのがインドネシアの共通認識だからだ。

 

「でも、」と彼は続ける。

 

「実際に留学している時に、ヒロシマについてゼミで学んだり、資料館を訪れたりして、今までの意識は間違っていたなと思った。そこで何が起こっているのかを考えずに、自分たちのことだけを考えるのは違うなと。」

 

それはまさに僕にも当てはまることだった。「ヒロシマ」について、僕は「被害者である」という意識しか持ち合わせていなかった。

でもそれは、世界の中ではただの1視点であり(しかもマイノリティよりかも)、利害関係の中ではプラスに働いた側面があるのだと、今更ながら気が付いた。

 

なるほど。そうなってくると、ヒロシマをどのように伝えていこうか。

 

 

日本とロンボクとの切れぬ縁

どうも。BIKIです。

 

昨日は、アンプナン・ビーチというところに行ってました。

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アンプナン・ビーチ

 

何回か行ったことがあり、いつも多くの人がいて賑わっています。

みんな普通にビーチを楽しんでいる感じで、家族連れ、恋人、友達グループなど様々。

なんてことない、普通のビーチだと思ってました。

 

しかし、全くそんなことはありませんでした。

 

昨日一緒に行ったのは、僕のインドネシア語の先生とその友達。

色々と歴史の話をしてくれました。

 

まず、ビーチにつく前に西洋風の建物が並んでいます。

先生は話し始めます。

「ここはもともと港で、植民地にされていたころ、オランダ、そして日本の拠点になっていたの。」

そうだったのか、、ぜんぜん知らなかった。

そして海岸へ行くと、なにやら船のモニュメントが浮かんでいます。

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船の下にはいくつかの立木が

「これは、もともとここが港だったことを示すものなのよ」

 

そんな感じで、日本に占領されていた時があったんだ…という話をしてくれます。

僕は複雑な感情になります。

 

ていうか、普通に占領の話とかしてるけど、そのことについてインドネシア人はどう思っているんだろう??

 

これはずっと気になっていたことでした。

でもなかなかそんな話になったことがないし、いきなりそういう話をするのも気まずい。

でも、今なら聞ける。

 

インドネシアの人は、日本が植民地にしていたことについてどう思っているの?」

 

少し間があって、それから微笑んで「うーん、言いたいことはたくさんあるわね。」と先生。

「まず、植民地化することはいつの時代も悲しみしか生まない。これは日本に限ったことではないわ」と先生。

 

「でも、ここでは、痛みの記憶としては、オランダよりも日本の方が強く残っている。オランダには300年植民地化されてて、日本には3年だけだけど、それでも人々の心には深く残っているのよ」

 

「これは私の祖母の話だけど、日本兵がやってきて、連れていかれて、レイプされそうになったの。今でもトラウマになっているわ」

 

僕は衝撃を受けます。日本はオランダに比べて、比較的ゆるやかな統治をした、という様に僕が調べた限りでは書いてあったからです。

日本は石油のためにインドネシアにやってきたので、そのためには住民の協力が必要だから、縛りすぎない統治をしていた、と。

いや、全体的な統治自体はゆるやかだったのかもしれない。でも、草の根レベルでは、横暴な日本人がいて、インドネシア人に対してひどいことをたくさんしていたのだろう。。

 

先生の友達は言います。

私たちは小学校から高校まで、そのことを歴史の時間で勉強するのよ。日本はどう?」

 

日本の教科書にインドネシアでの出来事について詳細に書いてあるだろうか。

いや、書いてない。

 

「書いてないから、自分で勉強したよ」と伝えると、2人ともすごく衝撃を受けていました。

そりゃそうですよね。小学生からずっと学んできていて、「頭に染みついている」と語っていた先生。インドネシアにとって、それは本当に知らなければならない歴史です。

でもそれが、当事者である日本においてはほぼ教育されてない。

 

今は親日国となってくれているインドネシアですが、何にもないのに「日本好き~!」って言ってるわけではないのです。積み上げてきた歴史があります。

 

でも、(僕もそうでしたが)そのことについて全然知らない日本人がほんとに多いなと思います。インドネシアと聞いて、「ああ、日本の植民地だったね」とすぐ出てくる人はそう多くない気がします。

 

僕はインドネシアに来るまでは本当にインドネシアの歴史に対しても無知でしたが、インドネシアに来て、ここにいる人が好きになって、もっと理解したい、と思っていろいろその人の背景にあるもの(歴史、宗教)を勉強し始めました。

 

歴史を知る前と知った後では、物事見た時の感じ方が全然違います。学校の朝会でインドネシアの国旗に向かって敬礼しているとき、最初は何も感じませんでしたが、今は熱いものがこみあげてくるのです。

 

とりあえずこれからやることは、インドネシア語で書かれた歴史の本を読むことです。

日本語ではアクセスできない情報にアクセスできます。

それを日本に帰ったら伝えていかないといけないなと思います。

孤児院に行ってきた Day1

どうも。BIKIです。

 

今日は孤児院に行ってきました。

 

僕が活動している派遣校は、州内でもトップレベルの高校。

優秀な子たちばかりなわけです。

で、基本的には、やはり家庭環境に恵まれている子が圧倒的に多い。

何なら知事の娘とかいるし。

 

派遣校で活動するのはとても刺激的だし、楽しい。

でも、僕はそこだけを知って終わりたくないのです。

インドネシアには、日本以上に生きづらい環境に身を置く子どもたちが大勢いる。

そっちも知らないと、何も語れないと思うのです。

 

「何でもみてやろう」な精神。

 

そこでずっと孤児院的なところに行ってみたい…!と思って探しましたが、なかなか自力ではたどり着けない。しかし、運よく同じ住居に長期滞在していた欧米人のカップルが、孤児院でボランティアしてると小耳にはさみ、すぐ話をしに行って、今回連れて行ってもらえました。

 

今日行ったのはキリスト教徒が運営している、キリシタンの孤児院です。そこはグーグルマップに載ってません。

その欧米人のカップル曰く、「インドネシアキリスト教を標ぼうすると、危ないことが起きる可能性があるから」とのことでした。

 

japan-indepth.jp

 

そんなこんなで到着し、「どんな感じだろう…」とドキドキしながら中へ。

 

すると、孤児院を経営する夫婦が温かく迎えてくれました。

いつもインドネシアで目にする、フレンドリーなスタイルで安心。

 

建物は外見、見た目ともにきれい。中に入ると結構部屋がいっぱいあって広い。なんか公民館の中にある会議室くらいの広さのホールもある(伝われ)。

(すみません、写真は今度撮れたら載せます)

 

中に入ると、子どもたちがちらほら。今日は大半の子どもたちが働きに出ていたようで、みんな疲れて「シャワーあびよ~」みたいな感じでした。

 

そういうわけで欧米人カップルと「座ってようか」となって、ソファに座って待ってました。

 

しばらくすると子供たちがやってきて、一緒にジェンガをやったり、トランプしたりして遊びました。

 

驚いたのは、子どもたちのコミュ力の高さ。初めて行くし、外国人だし、最初はなかなか喋れないかな…とか思ってましたが、全然そんなことなくて、子どもたち、知らない外国人に対しても無限にトークできます。いろんな人が来てるから、既に人なれしているんかな。

 

一緒に遊べば、仲良くなるのはすぐです。一緒にご飯を食べて、宿題をしたり、カードゲームしたり。一度壁が壊れてしまえば、もうずっと楽しい時間が続きました。

 

孤児院という感じがしないくらいの明るさ。帰るころには孤児院であることを忘れかけていました。

 

しかし、帰るときに外に出ると、なんか治安が悪い感じで音楽が大音量で流れています。男性グループが外で飲んでいるよう。いつもではないが、たまにこういうことがあるとのことでした。

 

孤児院を切り盛りする奥さんと話していると、衝撃の言葉が。「この地区はドラッグの売人がたくさんいて、逮捕されてるやつもたくさんいる。この門の内側は安全だけど、子どもを外に出すことはできないね。学校へは、車で送り迎えしてる。」

 

あまり信じたくありませんが、そういう現実も横たわっているんだなと。

インドネシアはええところやでぇ」と平和ボケしてた僕ですが、大音量で流れる音楽の中で、少し目が覚めた感覚になりました。

(いいところであることは間違いないですが、そういう負の側面もしっかりあるってことです。)

 

こういうところは何回も見てみて、現実が見えてくると思います。

子どもたちも今は明るいけど、結構壮絶な過去を歩んできているはずだし、、。

とりあえず、継続的に通いたいと思います。

先生がお母さんに本気で思えた話。

どうもBIKIです。

 

今日は、一緒に働いている日本語の先生について書きたいと思います。

 

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先生とぼく。ギターとカホン

とても面白くて優しい先生で、僕は先生の第4の息子ということになり、親しくさせてもらっています。(前任のNPの方も娘になっている笑)

 

家にもよく通っており、まさに家族ぐるみでお付き合いをさせてもらっています。

 

ここで前置きとして、実は先生は数年前に夫と離婚し、今は子ども2人と一緒に暮らしています。

離婚の主な理由は宗教の違いだそう。夫はもともとバリヒンドゥーの家庭で育ち、先生と結婚するときにイスラム教に改宗したそう。

しかし、その夫の父親が亡くなりました。夫は家族の中で長男であるので、家族のトップとして家に戻らないといけない。そうすると、バリヒンドゥーに戻らないといけない。異なる宗教を信じた状態で結婚はできない。ということで、離婚に至ったとのことでした。

そして実は、僕の両親も離婚をしており、僕は中学3年生以降、母さんに育てられてきました。

初めてこれを知ったときは、お互いに「一緒だね~!」と盛り上がりました。笑

 

そんな中、今日、改めて家族について話す機会がありました。

先生は離婚したことを、「子どもたちに申し訳ない。子どもたちは普通の家庭の方が良かっただろうから」と語ります。

 

でも、「だからこそ、私は頑張ります。子どもたちに不自由させたくないから」と仰っていました。

 

「神様に、いつも子どもたちが健康で成功することを祈っています。」

 

「子どもがおなかがすいていたら、自分も減っていてもまず子どもに食べさせます」

 

「昨日のご飯がまだ余ってて、新しいごはんが炊いたときは、新しい方を息子に、古い方は私が食べます。」

 

こんな風に日本語で話してくれる先生。

「子どもが一番大事だから。」

先生がそう言ったとき、ぼくの胸の中からぐっとこみあげてくるものがありました。

 

それは、母さんに対する感謝です。

 

上の先生の発言は、驚くほどうちの母さんの考え方と一致してます。

母さんは女手一つで、僕と弟に愛をたくさんくれて、しっかりと育ててくれました。

 

母さん、何よりも僕たちのことを優先してくれたなあ。。古いごはんの話とか、まさに母さんもそんな感じだったなあ。。

 

母さんと目の前の先生が、少し重なって見え、なぜだか僕は泣きそうになっていました。

この感情の名前は何でしょうか。

 

 

 

先生が最後に、「お母さんを愛してください。愛さないとだめです」と。

 

「はい、先生。そうします。母さんも、先生のことも愛します。」

 

「そうね~。もう私はお母さんだから」

 

インドネシアで、2人目のお母さんができました。

嫉妬の炎は僕を燃やさない。

こんばんは。

BIKIです。

 

最近忙しくしており、なかなか投稿できておりませんでした。最初は毎日更新!とか言ってましたけど、たぶん無理です。諦めます。笑

 

でも、その分一個一個の投稿を心を込めてしたいと思います。

 

今日は、タイトルにある通り

「嫉妬の炎は僕を燃やさない」

ということについて書きたいと思います。

 

「どういうこと??」

「タイトルかっこつけんな~!!!」

という声が聞こえてきそうですね。

 

でも、最近思ったことなので話させてください。

 

突然ですが、みなさん、FacebookやインスタグラムなどのSNS、よく使いますか??

私は結構見てます。

今や頻度の差こそあれ、たいていの人がSNSをしている時代だと思います。

 

そこでSNSを見ていると、こんな投稿が多くあるのではないでしょうか??

 

「私は今海外でこんな活動をしてます!めちゃくちゃ人生楽しい!」

 

「僕が書いた記事が取り上げられました!みんな見てみて!!」

 

「今こんな風にして頑張ってます!大変なこともあるけど、毎日充実してます!」

 

みたいなみたいな。

なんかきらっきらしてますよね。僕はこれを「キラキラ投稿」と呼んでいます。笑

 

特にFacebookを見ていると、こんな感じの「キラキラ投稿」が多くあると思います。実際僕もこんな投稿をよくしていますw

 

ここで心理学の知識。

人間は比較する生き物です。自分の立ち位置、幸福度、裕福さも周りの人との比較によって決めています。

同じサイズの家に住んでいる2人がいます。1人の家の周りには、自分の家よりも大きい家しかない。もう1人の家の周りには、自分の家よりも小さい家しかない。こういう状況だと、同じサイズの家でも、それを誇りに思えたり、逆に惨めに思えたりしますね。同じサイズの家なのに。

 

人間は普段から、自分と人を比較しています。SNSを見ている時も。

 

そこで最近、SNSを見ていて気付いた自分の感情があります。

比較から生まれる「嫉妬心」です。

 

自分よりもすごい、、とか、自分よりもキラキラしてるわこの人…。ってなったときに、なんか素直にその事実を受け止められないんですよね。

 

自分よりキラキラしてるのを、なんか認めたくないという気持ちになります。

 

で、その後どうするかというと、ぼくは「負けをなかったことにする」戦法をよく取っていました。笑

 

つまり、投稿見ないとか、いや自分もやればできるけどやってないだけだし…。って思うとか、そんな感じでどうにか自分のプライドを保とうとしていました。

 

でも、最近気づきました。

 

「この心の習性こそが、僕を成長から遠ざけている」と。

 

すごい人が近くにいるのなら、ちっぽけなプライドを保とうとして目を背けるより、じっくりとどうやっているのかを観察し、自分に取り入れていった方が確実に成長できる!と思いました。

 

なんで今までこんなことに気付かなかったんだ、、

よし、今日から変えよう!

と思っても、ふと気づけば嫉妬心を持っている自分がいたりします。

 

そこで大事になってくるのは、「すごい人にまず拍手すること」だと思います。

その人に勝つとか負けるとかの心の動きをいったん封じて、純粋に「すごい!」と拍手する。

そして、今の自分とすごい人を冷静な目で比較し、

これが最初にできれば、嫉妬心に振り回されることなく、しっかりと自分の成長につなげることができます。

 

すごい人に、まず拍手を送る。そして、自分に取り入れることができそうなところを探す。

それを心がけていきたいです。

 

BIKI

高校生の劇を見て思ったこと。

こんにちは!BIKIです。

 

今日はこれ!

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DRAMA KELAS POPEYE と書いてあります。

 

これは毎年恒例の、SMAN1 MATARAMで開催される、簡単に言えば文化祭のようなものです。

2年生がドラマ(劇)を、1年生がバザー(出店)をします。

3年生は勉強とか忙しいので、先輩として見守るだけです。

 

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こんな感じ

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1年生のバザー

この劇ですが、ただの劇ではありません。

実はこれ、インドネシア語の授業の一環で作るものらしく、

テーマに

 


インドネシアの歴史」

インドネシアが抱える問題」などが含まれているのです!!

 

例えば、これ。

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「環境のために、やめよう」

 

構成としては、

インドネシア独立の歴史に触れ、私たちが勝ち取った「インドネシア」なのだ、という感覚を想起させます。

その後、そんな祖国、ひいては地球自体が気候変動により危機にさらされている、笑い続けられる未来のために、環境を思う行動をしよう。といったものでした。

 

ナショナリズム×SDGs みたいなところでしょうか。

 

2年生は全部で9クラスあります。その作品の多くで、こうしたナショナリズム的な作品が扱われていました。

 

もともと多様な民族の集まりであるインドネシアでは、こうした「我々はインドネシア人である」という価値観を教育する必要があるのでしょうか。日本よりも「インドネシアに誇りを持とう」みたいなメッセージが込められたコンテンツが多いです。(歌など)

 

また、劇を見ながら、僕はある教育映画を思い出していました。

それはMost Likely to Succeed」。

これはHigh Tech High(HTH)という、PBL(プロジェクトベースドラーニングの略。プロジェクトを進める経験の中で学習していく)のパイオニア的な学校のドキュメンタリーです。

あらすじは以下をご覧下さい

Most Likely to Succeed Synopsis (in Japanese) あらすじ — Future Edu Tokyo

 

そこで、歴史の勉強の方法として「劇を作る」というプロジェクトが出てくるのです。

High Tech Highの生徒たちは、劇を作るために様々な歴史を深く知る必要があります。また、そこで得た知識は「使うために得た知識」です。ただテストのために暗記しただけの知識はすぐ忘れてしまいますが(僕もセンター試験の内容をほぼ忘れています)、この「使うために得た知識」はなかなか記憶から消えません。

 

また、劇を作るというプロジェクトを通して、生徒たちはソフトスキルを身につけていきます。これが、これからの社会を生きていくうえで重要だと言われています。

ソフトスキルとは、コミュニケーション能力やリーダーシップ、ファシリテーションスキルのように評価の尺度を明確に定義しづらいスキルのことです。 (https://www.robertwalters.co.jp/career-advice/soft-skill.html

 

今回目にした劇は、それに近いものがありました。生徒たちは1か月前から、毎日のように放課後を使って準備します。夜の10時までやることもざら。そうして全力で劇を作り上げる過程で、インドネシアの歴史などの知識を得ることはもちろん、人生で大切になるソフトスキルをゲットするのでしょう。なにしろ、1か月、クラス30人で一つのものを作るわけですから。摩擦や衝突も起こるでしょう。それを乗り越えて、作品にしていくのです。コミュニケーション能力、リーダーシップ、ファシリテーションなどまさにソフトスキルです。

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流した涙は宝物になります。

結果発表の後は、多くの生徒が泣いていました。悔し涙、嬉し涙、両方ありました。全力でないと流せない涙です。

とても胸が熱くなりました。

 

なんでこんなにいきいきしてるんだこの子たちは。

日本で会ってきた子はこんなだっただろうか。

やはり、僕は1度日本の教育現場に立とうと思います。